こんにちは。ゆるセミ(@yuru_semi)です。
今日(4月30日)で平成も終わりになります。
僕は、平成2年生まれの平成育ちです。
平成という時代とともに生きてきました。
今回は、そんな僕が生きてきた平成という時代を振り返ってみようと思います。
小さい頃はスーパーファミコンに夢中
僕が保育園児だった小さいころに、スーパーファミコンが発売されました。
始めて買ってもらったソフトは、「スーパーマリオコレクション」。
スーパーマリオ1・2・3・U.S.Aがセットになったソフトでした。
僕は友達と遊ぶよりもゲームに夢中になり、ずっとゲームをしていました。
また、ウルトラマンや仮面ライダーなどにもハマってかかさずみるようにしていました。
そんな子供時代を送りました。
小学生時代は、「モー娘。」が流行りました
小学生に上がって、しばらくすると「モー娘。」が流行りました。
クラスの中で女子のグループが、マネして踊っていたのを覚えています。
また、中学に上がると「上戸彩」主演の「エースをねらえ」が流行って、クラス中がその話題で持ちきりでした。
正直、僕はあまりそういうものには興味がありませんでした。
小学4年生ぐらいにNINTENDO64が出て、早速買ってもらって、そちらの方に夢中でした。
NINTENDO64で始めて買ってもらったソフトは、「ゼルダの伝説 時のオカリナ」です。
その後は、「大乱闘スマッシュブラザーズ」などを買ってもらい友達と一緒にプレイしていました。
とはいっても、中学になると周りがみんな所属していたので、部活に所属しないわけにはいかなくなり、野球部に所属。
正直、この選択は誤ったかなと思っています。
部活メインの生活になり、自分の自由な時間が減ってしまったからです。
思えば、この頃から自由な時間が欲しいと考えていたのかもしれません。
そして、この中学時代に「ガンダムSEED」を観ることになりました。
たまたま、土曜日の夕方に放映していて、それを観たのがきっかけなのですが、僕がアニメにハマった瞬間でした。
それまでは、アニメというものに対して、軽蔑の眼差しで見ていました。
そして、アニメに必死になるオタクの人たちも同様の眼差しで見ていました。
しかし、それはアニメというものがどんなものか知らなかっただけでした。
そこで様々な葛藤がありましたが、結局はアニメ好きになっていくのです。
音楽としては、「BUMP OF CHICKEN」にハマりました。
「オンリーロンリーグローリー」は大好きでよく聴いていましたね。
後は、「車輪の唄」ですね。
高校に入ると勉強漬けの毎日でした
高校に進学しました。
高校は、普通科の進学校です。
そのため、朝から晩まで勉強漬け。
テストの成績などにより、クラスが分かれるため、必死に勉強しました。
この頃は、完璧なオタクになっていました。
親からもらうお小遣いを貯めて、「涼宮ハルヒの憂鬱」だったり、「コードギアス 反逆のルルーシュ」のDVDや本などを集めていました。
どんどんオタクになっていき、ここで「CLANNAD(クラナド)」という美少女ゲームと出会います。
この出会いが、さらにオタクへの深度を深めていきました。
しかし、クラスの中では普通にふるまい、隠れオタクとして過ごしていました。
部活は陸上部に所属し、勉強・部活・アニメの3すくみの生活です。
それを3年間続けた結果、無事に大学に進学でき、部活でもそこそこの成績を収め、ディープなオタクの完成というわけです。
そういえば、この頃はmihimaru GTの「気分上々↑↑」やSEAMOの「マタアイマショウ」が流行っていましたね。
後は、青山テルマですね。
なんか書いていると懐かしいですね。
大学時代は楽しかった
大学時代は、オタクサークルに入りました。
正直、それだけでよかったのに、なぜか部活にも入るという失態を冒してしまいます。
バカだなぁーと当時は思っていたものの、今となってはその経験が今にも生きているのだと思います。
部活は、少林寺拳法部でした。
大学生になってまで、こんなガチな部活に所属する人はあまりいないと思いますが、何をやっていたんでしょうね(笑)
オタクサークルの活動は楽しかったものの、部活の方は微妙でした。
そりゃそうですよね。
オタクサークルと違って、部活の方は一般ピーポーなわけです。
オタクについて理解がある方もいましたが、大半は「何それ?」みたいな感じです。
ファッションだったり、女の子にどうやったらモテるのかというのが彼らの最大関心事だったのですから。
でも、大学生活はそれなりに楽しかったんだと思います。
今のように働かなくては生きていけないわけではなく、親のすねかじりで生きていたわけですから。
自分の生活1つとっても責任はありませんでしたからね。
そして、この大学時代に大きな災害「東日本大震災」が発生します。
テレビの画面を通して映し出される映画のような光景。
この光景が同じ日本で起きているという実感がわきませんでした。
友達は、これに対し急いで寄付をしたりしていました。
かくいう僕は、悩んでいました。
寄付するお金は親が働いたお金です。
それを寄付という形にしろ、僕がその権利があるのかと。
親は僕が生きていくために仕送りをしてくれているわけで、寄付に使うのは違う気がしたのです。
今思えば、そんなの被害に遭われた人々にとってはどっちでもいいのだとわかります。
しかし、当時はそれについて何日も考えていました。
結局、寄付するのはバイト代が出て、そのバイト代の中からということで決めました。
就活は、なんだかんだと落とされながらも、1社から内定をもらい、そのままその会社に決定しました。
社会人になって、6年が経ち、セミリタイアを目指す
社会人になった僕は、扱えるお金が増えたことで一気に金遣いが荒くなります。
好きなゲームがあれば、すぐ買うようになりましたし、タクシーにも乗るようになりました。
そして、ほとんどの食事を外食で過ごしていたため、食費もバカにならない金額でした。
給料のほとんどを使い切り、給料日前は使えるお金がほとんどないというのが社会人になって4年ほど続きました。
しかし、そんな僕がセミリタイアを目指すきっかけとなったのが、安藤美冬さんの著書『冒険に出よう』だったんですよね。
この本は、僕にとって会社で働く以外の生き方を教えてくれた本です。
おそらく他にもそんな本はあったのだと思いますが、僕が出逢ったのはこの本でした。
この本との出会いを皮切りに、様々な生き方について興味が沸き、そういう生き方をしている人たちの本を買ったり、ブログを読んだりしていました。
そんなのことをしている間にセミリタイアというものがあることを知りました。
そして、大金が無くてもセミリタイアができると。
だから、僕は今セミリタイアを目指しているのです。
仕事に縛られずに生きるため。
振り返ると平成という時代で僕は生き方を見つけたのかもしれない
ここまで平成という時代を、僕なりに振り返ってみて、色々あったなぁーという感じです。
おそらく他の道もあったような気がしますが、今の自分はセミリタイアを目指して頑張っております。
セミリタイアという目標を見つけることができたのも、平成での紆余曲折があったからですね。
令和では、セミリタイアを達成したいですね。
今、ゴールデンウイーク真っ只中ですが、仕事の電話がかかってきました。
ゴールデンウイーク中まで仕事の電話がかかってくるのは本当に勘弁してくれーー。。
早くセミリタイア生活を送りたいものですね。
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